ヴェルチェッリの平野で販売中の城

25 番号
イタリア・ピエモンテ州の、ローザ山から緑に満ちた渓谷を見渡すヴェルチェッリの平野で、10世紀に起源を持つ古城が販売されています。1,200平米の広さを有し、一部(500平米)では、その姿とオリジナルの構造の特徴を保つための細心の注意を払った重要な改修が行われています。
このピエモンテの魅力溢れる歴史的住居を取り巻くのは、田んぼや、緑の平原と素朴な農家が位置する斜面、水鏡を写すポー川といった美しい自然風景です。
販売中の古城の四つの寝室とエレガントなサロンは、品の良い調度品や家具が洗練された雰囲気を醸し出しています。その魅力を更に彩るのは、邸宅の入口にある大きなテラス、素晴らしい庭園やプール、屋根付きの広いポーチです。

城についての最初の記述は10世紀、962年に皇帝オットー1世の公文書で、アイモーネ伯爵家のカサノヴァのキュルティスを認めたもので、ヴェルチェッリの教会の所有権も含まれていました。
所有権はビアンドラーテ伯爵家、ゲルフ派のアヴォガドロ家、サヴォイ公爵・アメデオ8世へと渡ります。小さな町の中心を征服していた古城は、13世紀には住民にとって作物保護のための重要な要塞でしたが、16世紀には廃墟となります。
18世紀には集落はスペイン人によって占領され、要塞としての機能を失います。18世紀以降は一部は住宅として農業のために使用されていました。
20世紀初めには、館内は幾度もの改装が行われ、外観は当時人気のリバティスタイルとなります。19世紀にボッソラ家に所有されたイタリア・ピエモンテの城は、現在まで続いている米生産の主要地であり、重要な農園となっています。
詳細 州:ピエモンテ
市:トリノとミラノの間
地域:ヴェルチェッリ

分類:トリノの城-販売中の城

内部面積:1,200平米+塔
外部面積:2,000平米

4寝室
4バスルーム
2サロン
ダイニング
キッチン
エントランスサロン

その他、付属スペース

プール
広い駐車場
庭:2,000平米

ピエモンテ州-トリノ-ミラノ:ヴェルチェッリ9km-ノヴァーラ29km-ミラノ75km-アレッサンドリア62km-トリノ64km-カヴァリア ゴルフクラブ6km-温泉施設99km-ミラノ空港34km-高速道路(バロッコ)5km

Rif番号: 0322
価格帯: 2.5ミリオンユーロまで

城販売します

歴史的住居
不動産 トリノ

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ピエモンテ州-ヴェルチェッリ

ピエモンテ州 -トリノ-ミラノ:サン ベルナルド道へと向かう古代の経済の主軸道路沿いに位置していたヴェルチェッリ(Vercellae)の町は、ケルト人-リグリア人の居住地として発展した後、紀元前2世紀初頭にローマ人に占拠されます。
紀元前101年には、ローマ人が地域の住民に勝利します。紀元前49年にガイウス マリウス率いる軍は、ウェルケッラエの戦いでゲルマンを祖先とする強力なキンブリ族をも倒し、ヴェルチェッリは完全にローマの領土となります。
中心部はムニキピウムとなり、道路やモニュメント、公衆浴場、水道橋、劇場、円形競技場などが造られました。
1世紀から2世紀の間にも、このピエモンテ州の町の中心部の開花は衰えることなく続きます。しかし、後の3世紀及び4世紀にはヴェルチェッリはローマ帝国の運命と同調して、それまでに獲得した重要性は衰退し、その後も、フン族やブルグント族などの蛮族に侵略されます。
古代末期と中世早期に於いてはほとんど情報は残っていません。町は6世紀から8世紀にはロンゴバルドの支配下に置かれ、続いてはフランクの配下となります。トリノとミラノの間にあるヴェルチェッリは公国から伯爵領となり、司教たちによって管理されます。
長い間の不安定な年月の後で、ミラノと同盟したヴェルチェッリはレニャーノの戦いに勝利するまでロンバルディア同盟に参加します。
13 世紀には徐々に都市制度を握り、アルプス、ポー、セージア、ドラを含む領土の管轄権を得ます。また、1243年に教皇代理使節であったグレゴリオ ダ モンテロンゴ枢機卿がこのピエモンテの町にヴェルチェッリ教区に所属する全ての領土の司法権を譲渡したこともあり、町は歴史の中でも最も繁栄した時代を迎えます。それまでは権力も大きくはなく、この時点では司教の座は空席でしたが、この譲渡による顕著な重要性の獲得で、次代の司教たちは大きな権力を手にします。
アヴォガドロ家率いるゲルフ派とビケリ家-ティッゾーニ家が率いるギベリン派の長い争いの後、只今販売中の古城がそびえるピエモンテの町は外国に支配され、1335年にはヴェルチェッリは完全に自治政権を失います。
ヴィスコンティ家の配下では平和な時期を送りますが、1427年にサヴォイア公国に支配されると急速に衰えを見せます。それでも、ヴェルチェッリの町はルネサンス期に於いて、ピエモンテの主要な文化の中心地の一つでした。
スペイン継承戦争中の1704年には、ヴァンドーム公の軍隊によって攻撃されますが、1713年のユトレヒト条約によってサヴォイアへと戻ります。
ナポレオンの支配期には、ヴェルチェッリはセージア省の首都となり、フランス帝国の一部となります。
1814年のサヴォイア国家の復元後、ヴェルチェッリの住民は1821年の解放運動、また、イタリア統一運動に参加します。そして、後の独立戦争で町は深刻な損害を受けます。