アレッサンドリアの古城販売中

1 番号
モンフェッラートの丘の高みに堂々とそびえ立つ、起源を10世紀に持つ要塞の城は、サラセン人からの攻撃に耐えることを主な目的に建てられたものです。只今販売中のピエモンテ州の古城は人里離れた凝灰石の岩の上に建てられ、周辺の谷と平野の全景、モンフェッラートの丘陵とアレッサンドリアの葡萄畑といった素晴らしい景色を見下ろします。

この歴史的邸宅は一番初めは展望塔として生まれ、そして、食糧貯蔵庫、療養施設となっています。砦のすぐ下が、頑強に保護された安心感から、この村の一番最初の住民たちの居となりました。
村の最後の領主・ゴザーニが古城を、18世紀の壮麗な舞台のようなファサード、U字型の大階段、南と北の入口を示すアーチなどで飾っています。
この修復のおかげで、トリノからも遠くないこの城はその素晴らしさを取り戻し、また、現在まで美しさを保ち続けているイタリア式庭園も造られました。
テラス庭園内の、建築家・ユヴェッラの弟子であるフェッロッジョ作の完璧なスタイルのチャペルも、同家によって18世紀に建てられたようです。
1828年には建築家・ボッラティの手によって南ファサードの一部が改装されています。ファザードを水平に分割して窪みを造り、三階にテラスを設置しました。これで、塔の頂上まで登ることなくモンヴィーゾからモンテ ローザの壮大なアルプス、モンフェッラートの丘とロメッリーナの平野景色を楽しむことが出来るようになりました。

慎重な修復によって、イタリアのピエモンテで販売中のこの高貴な城は、上品な雰囲気を持つエレガントで快適なシャトーホテルとして生まれ変わっています。
所有総内部面積は1,850平米に及びます。11室と大会議室など、もしくは複数のプライベート アパートメントへの拡張工事も可能です。
また、この一流邸宅は7,000平米の庭園を所有しています。
詳細 州:ピエモンテ
県:アレッサンドリア
地域:アレッサンドリア

分類:城 販売-トリノ 古城

内部面積:1,850平米+385平米(格調可)
外部面積:7,000平米

10部屋
1スイート
レストラン用3室
バール
キッチン
その他、付属施設、技術施設

庭:7,000平米

ピエモンテ州-アレッサンドリア:アレッサンドリア31km-トリノ94㎞-ジェノヴァ108km-ミラノ105km-ゴルフ場10km-トリノ空港99km-温泉施設50km-高速道路(カザーレ モンフェッラート南)2km

Rif番号: 2324
価格帯: 2.5ミリオンユーロまで

名門住宅

古城 ピエモンテ州
ヴィラ販売

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ピエモンテ州-アレッサンドリア

この見事な古城が位置するアレッサンドリアは、12世紀半ばにロンバルディア同盟によって、フレデリック1世(バルバロッサ)の親類であるモンフェッラート公爵・グリエルモ長老を脅かし抗争を有利に運ぶという明確な目的で建設された都市であり、ミラノと共にロンバルディア自立のシンボルと なっています。
かつては“チヴィタス・ノヴァ(Civitas Nova)”と呼ばれたこの土地は、1174年に皇帝バルバロッサの部隊に包囲された際に家々の屋根に藁が使われていたことから、バルバロッサから“藁のアレッサンドラ”と呼ばれていました。
周囲の村々は、ロヴェレート村周辺を中心にタナロ川の川岸を強化するために建設されています。
バルバロッサの攻撃に耐えた街は、敗北した皇帝軍が撤退した際に同盟の守護者であり反皇帝の中心人物であった教皇アレクサンダー3世にちなんでアレッサンドリアと名付けられることになりました。その後一時の短い期間、“チェザレア”と呼ばれていたこともあります。
ピエモンテ州のこの都市は1198年に独立しましたが、その後はミラノ公国の手に落ち、1348年にはヴィスコンティ家、続いてスフォルツァ家、スペイン軍に支配されます。
1707年にエウジェニオ王子の手に渡ったアレッサンドリアですが、1713年にはサヴォイア王国が政治権を握り、サヴォイアはここをピエモンテの戦略拠点として本格的に強化します。
この時期にここに建築された六角形の“要塞”は18世紀ヨーロッパの軍事建築の最高例の一つといえます。
1728年にヴィットリオ アメデオ2世王から始まった要塞建設はカルロ エマヌエレ3世に引き継がれ、マレスコ、シャスルー両将軍によって完成します。防御施設は19世紀半ばまで更に強化されて行きます。
ピエモンテの村の六角形の稜保は全長3kmに及ぶ壮大さが目を引きますが、建築的に最も興味深いのは3万平方メートルの広大な広場でしょう。ここに、18~19世紀の壮大で頑強な平行六面体の建物が面しています。
このアレッサンドリアの18世紀の建築物は1859年に拡大されますが、典型的な軍事建築であり、この巨大な牙城のおかげで、アレッサンドリアは何度も仕掛けられた敵からの攻撃に耐えることが出来たのです。