キャンティのアンティークな城

13 番号
イタリアのトスカーナ州で魅力的な古城の一部が販売されています。シエナのキャンティ丘陵の素晴らしいパノラマを見渡す、販売中の歴史的な住居は10世紀の古城内にあり、巧妙な修復改修作業によって、独自で新しい独立アパートとなっています。

この特別なトスカーナの古城は、ラッダとガイオーレ イン キャンティというキャンティ クラシコ地区の二つの重要な歴史的な町の間に位置しており、トスカーナの丘陵でも最も名を知られたキャンティの森や糸杉の並木、オリーブ畑、葡萄畑といった素晴らしい景観を臨んでいます。
古城を取り巻くのは360ヘクタールの土地で、うち75ヘクタールはキャンティ クラシコ ガッロ ネーロDOCG生産用の葡萄畑、25ヘクタールはエキストラ バージン オリーブオイルDOP生産用オリーブ畑です。

全ての特別不動産は、オリジナルの特徴を保ちながら、典型的なトスカーナの田舎風の住居として修復改装済みです。アンティークな城から生まれた最高級住宅では、こうしたスタイルに、エアコン、ジャグジーバスとシャワー、大きな暖炉、温度制御システムなどのモダンな快適さが融合しています。

153平米の広さを持つ最高級住居は、城の三階に位置し、独立エントランスへはエレベーターまたは屋内の階段からアクセスすることが出来ます。この特別不動産は、修復済みの美しい暖炉を備えた広いサロンがあり、大きな窓からは周囲の風景が臨めます。
リビングゾーンには、バスルーム、キッチン、多目的室も備わっています。一方、ナイトゾーンには二つの寝室があり、うち一つは専用バスルームと衣装用スペースが付いています。

販売中の価値ある最高級不動産がある古城を取り巻く集落には、レストラン、ワインバー、オステリア、パノラマビューのプール、広い駐車場も備わります。
詳細 州:トスカーナ
県:シエナ
地区:キャンティ

分類:古城 キャンティ-シエナの城

内部面積:153平米
 
2 寝室
2バスルーム
サロン
キッチン
 
その他、付属スペース

トスカーナ州-シエナ:シエナ市内28km-グレーヴェ イン キャンティ28km-サン ジミニャーノ46㎞-アレッツォ45km-フィレンツェ45km-モンテスペルトリ51km-ウゴリーノ ゴルフクラブ26km-アンティーカ クエルチャイオーラ テルメ30km-乗馬クラブ17km-フィレンツェ空港44km-高速道路(ヴァルダルノ)20km

Rif番号: 0246
価格帯: 2.5ミリオンユーロまで

販売中の城

トスカーナ州のファームハウス
歴史的住居

お問い合わせ

皆様のご要望により正確にお応えするために、下記のフォームへのご記入を、ご希望の返信言語をご指定の上、お願いいたします。 Lionardo ( ライオナルド) は出来る限り早急に皆様にご返信させて頂きます

名前 *
苗字 *
Eメール*
電話番号*
会社案内
言語*
お住まいの国 *
Message *
Privacy *
イタリア国内条例art. 13 del D.Lgs. 196/2003に同意します

電話番号: +39 055 0548100
Eメール: info@lionard.com

トスカーナ州-シエナ

トスカーナ州-シエナ:ガイオーレの盆地の周りの丘の上の小さな集落には、11世紀初頭には既に人々が暮らしていたようです。彼らがヴェルティーネから、モンテグロッシから、サン ドナート、そしてサン ピエトロから谷へと移り、マッセッローネの渓流、後のトスカーナの谷の中心の街・ガイオーレを住居とした人々でした。 ガイオーレの誕生と発展はピアッツァ ディ メルカート(市場の広場)と共に歩んでいます。1215年にはすでに公証人が作成した文書に名が記されていることからもその重要さが見て取れます。
後にトスカーナの集落の市場は川岸の右手にあった最初の広場から更に広い土地へ、キャンティ セネーゼの真ん中・ガイオーレの街の中心へと場所を移しています。このトスカーナの街の重要さは、1700年代終わりのキャンティへの初訪問以降、トスカーナ大公・レオポルドが何度にも渡って報告書に記していることからも知ることが出来ます。
1300年にはこのトスカーナの町はラッダ、カステッリーナと共にキャンティ同盟三都市の一つとなっています。同盟はフィレンツェ公国の政治行政地として区分されており、フィレンツェで戦争や暴動が起こった場合には、ここから兵士や資金が供給されることになっていました。
4世紀に渡り、このトスカーナの地はフィレンツェとシエナの勢力圏の境界であったことから、度々、襲撃や略奪の的となっていました。
トスカーナ州の町・ガイオーレは、長い間フィレンツェの支配下にありましたが、19世紀の始めに、ナポレオンの進攻によってエトルリア王国が造られた際に、シエナ県に組み込まれ、イタリア統一後も、その後の県編成に於いても、シエナ県の一部となっています。